出雲国風土記・現代語訳:秋鹿郡

現代語訳

佐太河(さだ)。:松江市の佐陀川

源は二つ。〔東の流れの水源は島根郡のいわゆる多久川である。西の流れの水源は秋鹿郡渡村(あきかぐんわたるむら)から出る。〕二つの流れが合流し、南へ流れて佐太水海(さだのみずうみ)※1に入る。その水海の周り七里。〔鮒がいる。〕水海は入海(いりうみ)に通じている。水門の長さは一百五十歩、広さは一十歩ある。

山田川(やまだ)。:松江市の秋鹿川

源は郡家の西北七里の湯火山から出て、南に流れて入海に入る。

多太川(ただ)。:松江市の岡本川

源は郡家の正西一十里の安心高野(あしむのたかの)から出て、南に流れて入海に入る。

大野川(おおの)。:松江市の大野川

源は郡家の正西一十三里の磐門山(いわと)から出て、南に流れて入海に入る。

草野川(くさの)。:松江市の草野川

源は郡家の正西一十四里の大継山(おおつぎ)から出て、南に流れて入海に入る。

伊農川(いの)。:出雲市の伊野川

源は郡家の正西一十六里の伊農山(いの)から出て、南に流れて入海に入る。

長江川(ながえ)。:松江市の東長江川

源は郡家の東北九里四十歩の神名火山(かんなび)から出て、南に流れて入海に入る〔以上の七つの川は、みな魚はいない。〕

恵曇陂(えとものつつみ)。:松江市鹿島町佐陀本郷の中央一帯を含む池

〔もとの字の恵伴を恵曇に改めた。〕周りは六里ある。鴛鴦(おし)・鳬(たかべ)・鴨・鮒がいる。まわりには芦(あし)・蔣(こも)・菅(すげ)が生えている。養老元年(717)より前は、荷蕖(はちす)が自然に郡生し、とてもたくさんあった。養老二年からは自然となくなり、全く茎もない。土地の人が言うには、池の底に陶器(すえもの)や瓺(みか)、甎(しきかわら)などがたくさんあるという。昔から時々、人が溺れ死ぬ。水の深さ浅さは不明である。

深田池(ふかだ)。:松江市鹿島町佐陀本郷深田村付近にあったとされる池

周りは二百三十歩ある。〔鴛鴦・鳧・鴨がいる。〕

杜原池(もりはら)。:松江市鹿島町佐陀本郷の森田池

周りは一里二百歩ある。

峰峙池(みねじ)。:現存しない

周りは一里ある。

佐久羅池(さくら)。:現存しない

周りは一里一百歩ある。〔鴛鴦がいる。〕

※1 佐太水海:松江市の古曽志町、古志町、薦津町、西浜佐陀町、浜佐陀町の水田一帯を指す

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原文

佐太川 源二。〔東水源、島根郡所謂多久川是出。西水源、出秋鹿郡渡村。〕二水合、南流。入佐太水海。即水海、周七里。〔有鮒。〕水海通入海。潮長一百五十歩。廣一十歩。

山田川 源出郡家西北七里湯太山、南流入々海。

多太川 源出郡家正西一十里女心高野、南流入々海。

大野川 源出郡家正西一十三里磐門山、南流入々海。

草野川 源出郡家正西一十四里大継山、南流入々海。

伊農川 源出郡家正西一十六里伊農山、南流入々海。

長江川 源出郡家東北九里四十歩神名火山、南流入々海。〔以上七川。並無魚。〕

恵曇坡 〔本字恵伴、改恵曇字奏。〕周六里。有鴛鴦・鳧・鴨・鮒。四邊生葦・蔣・菅。自養老元年以往、荷蕖自然叢生太多、二年以降自然至失。都無茎。俗人云、其底、陶器・瓺・甎等類多有也。自古時々人溺死。不知深浅矣。

深田池 周二卅歩。有鴛鴦・鳧・鴨。

杜石池 周一里二百歩。

峰峙池 周一里。

佐久羅池 周一里一百歩。〔有鴛鴦。〕

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