出雲国風土記・現代語訳:意宇郡

現代語訳

教昊寺(きょうこうじ)。:風土記において唯一寺号を有する寺院

山国郷(やまくにごう)の中にある。郡家(ぐうけ)の正東二十五里一百二十歩にある。五重塔が建立されている。〔僧がいる。〕教昊僧(きょうこうそう)※1が造営した。〔この僧は、散位大初位下 上蝮首押猪(かみのたじひのおびとおしい)※2の祖父に当たる。〕

新造院(しんぞういん)一所。:松江市山代町の四王寺跡

山代郷(やましろごう)の中にある。郡家の西北四里二百歩の所にある。厳堂(ごんどう)を建立している。〔僧はいない。〕日置君目烈(へきのきみめづら)※3が造営した。〔この人は、出雲神戸の日置君 鹿麻呂(かまろ)の父である。〕

新造院一所。:松江市矢田町の来美廃寺

山代郷の中にある。郡家の西北二里の所にある。教堂(きょうどう)を建立している。〔住僧が一人いる。〕飯石郡小領の出雲臣弟山(いいしぐんしょうりょうのいずものおみおとやま)※4が造営した。

新造院一所。:安来市上吉田町の釈迦堂跡

山国郷の中にある。郡家の東南三十一里一百二十歩の所にある。三重塔が建立されている。山国郷の人、日置部根緒が造営した。

※1 教昊僧:正式に得度した僧か
※2 上蝮首押猪:反正天皇の部民。多治比部を出雲において管掌した氏族
※3 日置君:祭祀に関わる日置部を管掌した氏族
※4 飯石郡小領の出雲臣弟山:風土記編纂時の出雲国造出雲臣広島の次代の出雲国造

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原文

教昊寺 有山國郷中。郡家正東廿五里一百廿歩。建立五層之塔也。〔在僧。〕教昊僧之所造也。〔散位大初位下上腹首押猪之祖父也。〕

新造院一所 在山代郷中。郡家西北四里二百歩。建立厳堂也。〔無僧。〕教昊僧之所造也。〔出雲神戸置君、猪麻呂之祖也。〕

新造院一所 在山代郷中。郡家西北二里。建立厳堂。〔住僧一躯。〕飯石郡少領出雲臣弟山之所造也。

新造院一所 有山國郷中。郡家東南卅一里一百廿歩。建立三層之塔也。山國郷人、置部根緒之所造也。

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